World > Africa > Benin

Artist

IGNACE DE SOUZA

Title

THE GREAT UNKNOWN


great unknown
Japanese Title 国内未発売
Date 1950s - the late1960s ?
Label ORIGINAL MUSIC OMCD 026(US)
CD Release 1994
Rating ★★★★☆
Availability


Review

 ジョン・ストーム・ロバーツのオリジナル・ミュージックや、英国のレーベル、レトロアフリックによって紹介されるまで、“ハイライフ”はアフリカの知られざるポピュラー音楽だった。なかでも、とびっきりの「知られざる異才」great unknown がイグナス・デ・ソウサだ。

 デ・ソウサは、ガーナの隣国、当時ダオメーといわれていたベニンの出身。デ・ソウサがミュージシャン活動を開始した1950年代、西アフリカのポピュラー音楽シーンは、ガーナ出身のE.T. メンサー率いるテンポスが完成させたハイライフのつよい影響下にあった。

 55年、デ・ソウサはハイライフのメッカであるガーナの首都アクラへ移ると、元テンポスのメンバーで結成されたスパイク・アニャンコア率いるリズム・エーセズのメンバーに迎えいれられる。このバンドの演奏は、50年代から60年代のダンスバンド・ハイライフを収めた名盤"TELEPHONE LOBI"(PRIGINAL MUSIC OMCD 033(US))のなかで4曲聴くことができる(デ・ソウサの参加は不明)。

 翌年にはレバノン出身のスポンサー名にちなんだシャンブロス・バンドを結成。本盤唯一の50年代(おそらく終わりごろ)録音はこのバンドによるもの。典型的なダンスバンド・ハイライフだが、すでに完成の域に達している。後半部のトランペット・ソロはおそらくデ・ソウサ本人だろう。

 60年代にはいって、シャンブロス・バンドのメンバーたちとメロディ・エーセズ名義でレコーディングした'PAULINA'がヒット。念願の自分たちの楽器を手に入れることができた。“チャチャ”と表記されているのは、おそらく当時人気があったキューバのリズム“チャチャチャ”を意識したもの。バウンスするビートが軽快で、思わず口ずさみたくなる名曲です。

 このバンドによる演奏はほかに3曲収められていて、いずれも名演ぞろいだが、なかでも'ASAW FOFORDE'ではなんとツイストにチャレンジしている。
 64年、ブラック・サンティアーゴスを結成すると、ランブラーズとともに一躍トップ・バンドの地位にのぼりつめた。65年には、アフリカ各地で人気が急上昇しハイライフの地位を脅かしつつあったルンバ・コンゴレーズのスタイルを、ガーナでもっとも早くとりいれている。コンゴ独特のヴォーカル・ハーモニーを再現するためにトーゴからヴォーカリストを招き、ちゃんとフランコ・スタイルになっているのはさすが!ガーナの公用語は英語だったのに対し、デ・ソウサが生まれ育ったダホメーの公用語はコンゴと同じフランス語だったことも影響しているのだろう。

 ブラス・アンサンブルが主体だったダンスバンド・ハイライフにくらべると、ルンバ・コンゴレーズではエレキ・ギターが音楽の要だったが、デ・ソウサのバンドはメロディ・エーセズの時代からギターが目立っていたこともすんなりと順応できた一因だったのかもしれない。

 ルンバ・コンゴレーズの例にかぎらず、この時期のサンティアーゴス・サウンドは、ハイライフを中心にしながら、アフロ・キューバン風、カリプソ風、ツイストと「なんでもござれ」の様相を呈している。しかもたんなる模倣のレベルに終わらせず、いずれもおそろしいほど完成度が高いのである。この柔軟な消化力は、ひとえにデ・ソウサがガーナ出身者ではないことに起因している。歌われる言語にしても、ファンティ語、エウェ語、トゥウィ語、ヨルバ語、ピジン英語など、多種多様な言語が入り混じっているところに、デラシネとしてのデ・ソウサの音楽性がよくあらわれていると思う。

 デ・ソウサのおどろくべき消化力は、とどまるところを知らず、60年代末には、ナイジェリアのフェラ・クティが完成させてまもないアフロ・ビートをガーナで最初にレコーディングしているのだ。ハイライフ・バンドらしいまろやかな情感を残しながらも、ハモンド・オルガンが加わり、ヴォーカル、ギター、サックスのスタイルにもR&Bの影響を受けた独特のグルーヴが見事に再現されている。アフロ・ビートはハイライフの下地のうえに生まれたものであることをあらためて実感してしまった。

 しかし、70年になると、ガーナ経済が極度に悪化したため、外国人の就労が禁止され、デ・ソウサは本国へ戻らざるをえなくなる。それでも、かれはバンド活動をつづけたが、面積が本州の約半分にすぎない小国ベニンは市場が小さすぎて、80年代半ばには拠点をナイジェリアのレゴスに移したという。

 もはや活動を停止したオリジナル・ミュージックからのリリースではあるが、こんなにすばらしい内容であるのに、依然として「知られざる異才」であるのがさいわいしてか、英国のレコードショップSTERN'Sの在庫リストにはまだ載っていた。急げ。


(2.22.03)



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by Tatsushi Tsukahara